こんにちは、キメラゴンです。
先日書いた、
「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」の
感想記事に続いて
今回は
「猿の惑星:新世紀(ライジング)」を
観た感想について書いていきたいなと思います。
あらすじ
人間に反旗を上げて山に登っていった
シーザーとその仲間たち。
物語はそれから数年たったところから
始まっていた。
あれからどんどん増えていった猿たちだったが
子ザルに対して高い思考力をつけるために
教育を施していたシーザーをはじめとする
親サルたちの頑張りにより、
子ザルたちは
「手話」による会話が可能となっていた。
その影響で集団による大規模な狩りが
可能となっていた猿たちは
人間たちに脅かされることなく、
平和に暮らしていた。
そんなある日、狩りの帰りに青年サルが
人間に出くわしてしまう。
それから舞台は急激に動き出し、
ついには人間との全面戦争に・・・!?
全体を通しての感想
サルウイルスで人間激減しとるww
創世記で軽く触れられていた、
「猿ウイルスによる人間の死」
ですが、これが本格的に
広がってしまったみたく、
人間の数は激減してしまっていました。
人間が激減したせいで高度な文明は
失われ電気すらままならない状態まで
衰弱してしまうわけですが・・・。
まあ本当にどうでもいいことなのですが
「いや人間が激減するところだけとっても
一本映画作れたやろ!ww」
って思いました。
っていう話です。
一番ネックなのが猿と人間どっちも悪くないこと
「猿の惑星:新世紀」では主に
「人間対サル」というテーマで
描かれるわけですが、
どっちも悪くないんですよね。
ちょっとネタバレ気味になりますが、
小さなトラブルから大きな戦争へと
発展していく流れなのですが、
その小さなトラブルというのも
「人間と猿それぞれのサイドの
悪いやつ(という表現もなんか違う)」
が引き起こしているわけです。
とはいえ、その「悪いやつ」も
「自分の身のため」に結果的に
悪いことをしてしまっているわけで、
結論としては
「マジどちらも悪くない」
それでもお互いに生き残るために
「戦うしかない」
こういうところからこの映画から
伝わる強いメッセージ性を感じますね(笑)
シーザーが親になってて泣いた
創世記では子ザルからスタートして、
猿をまとめるところまで
描いていましたが、新世紀では
シーザーが最初から所帯を持っていました。
妻と子供がいて、一人目の子供は
シーザーと一緒に狩りをしたりする
描写も描かれているわけなのですが、
こういう細かいところを見て、
「あの小さい猿が立派になって・・・」
という勝手な親心を抱いてしまいましたw
(僕はまだ子供なのに)
なんかこういう細かいところから
感動を与えてもらえる作品って
素敵ですよね。
動物虐待はいけないと思った
この映画をみる前も別に
「動物虐待してやるぜヒャッハー!ww」
とかそういう思想は持っては
いませんでしたが、
この映画をみて強くそう思いましたね。
猿と人間が争い始めてしまう原因に
なったきっかけは人間に実験と称して
ひどい仕打ちを受けていた猿なのですが、
要は
「愛のある人間」とかかわって
育ったシーザーは全然大丈夫だった
わけなので普通に気を付ければ
こんな悲しいことにもならなかった
んじゃないかなと思うんですよね。
だから犬や猫、もちろん猿にも
(てか、動物全般)には
優しくしようと思いました。
まとめ
「新世紀」から本格的に猿対人間の
舞台が見れるようになって
うれしかったです。
リアルでよかった。
つまり
でもやっぱり一番は、創世記かな。